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Channel: グッジョブ!「インドネシア単身生活」
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サンリブ開店 (2016/04/24)

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ビザが大阪の領事館に到着したというメールが一昨日の夜に届いた。
したがって明日は大阪に行かなければならなくなったので、前日の今日から行って京都見物でもしようと思っている。
順調に行けば4月27日にインドネシアに戻る予定である。


先日前を通った時に開店準備中だったサンリブ貴船店。
小倉記念病院の跡地に4月21日にオープンした。
オープン記念セールを目当てにちょっとだけ寄ってみた。

さて、冒頭の写真はお店の裏側、臨時駐車場側からの画像である。
1階がスーパーサンリブとマツモトキヨシ。
2階が100円ショップのダイソーや美容院や理髪店が入っている。
次の写真は隣接するツタヤの建物。



ツタヤの他にフィットネスセンターなどが入っている。

北九州ギラバンツのキャラクター。



サッカーJ2のチームであるが、今季は22チーム中20位とやや不振がやや続いている。
4~5年前はJ1昇格を争える順位まで上がったが、スタジアムを持っていなかったので敢え無く昇格試合には出られなかった。

店内。



品数が豊富で商品のディスプレーも斬新である。
地元の有名なレストランともコラボして商品を販売している。
インドネシアにあるような大型ショッピングモールではないので、お客さんも思ったより少ない。
単なるスーパーの開店という感じだった。

臨時駐車場からのみえるTOTO本社。



先日行ったTOTOミュージアムの建物が目を引く。



この駐車場はもともとTOTOのグラウンドや厚生施設があった場所である。
現在は整備が進み何が建設されるのか知らないが、何やら工事が始まっていた。

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セブンイレブン (2016/04/25)

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昨日は京都を散策しいよいよ今日は大阪の領事館に行く。
この辺の報告は後日またこのブログでしよう。

さて、日本最大のコンビニチェーンのセブンイレブンの話。
もともとはアメリカ南部の小売店であったが、経営不振からイトーヨーカ堂が買収。
朝7時に開店し、夜11時に閉店していたことから、7.11(セブンイレブン)と命名したことは有名である。
現在は365日24時間営業で、オープン前に閉まっていたシャッターは一度開けると二度と閉まらないということも有名な話。



アメリカの大統領選挙の話が喧しい。
特に共和党のクランプ氏の一挙手一投足に注目が集まっているが、このほど演説で例のアメリカ同時多発テロの9.11(ナインイレブン)のことを7.11(セブンイレブン)と言ったものだから、反対派からやり玉に挙がっているようである。

ところで店頭に駐車されていたこの車。



えらく小さくて可愛い。
セブンイレブンのサービスの一つである宅配サービス。
「セブンらくらくお届け便」と書かれている。
移動が大変な障がい者やお年寄りには便利なサービスであろう。
来るべき超高齢化時代を見据えたという感じか。



よく見ると電気自動車である。
しかも一人乗り。
オートバイだったら雨に濡れるがこれだったら大丈夫。
2011年にトヨタ車体から発売され、原付免許で運転できる。

ねぇ、ジョコウィさん。
インドネシアで発売したらどうだろうか。
CO2を排出しなくて環境にやさしく騒音もない。

えっ、4人乗りできない?
インドネシアでは家族4人が一台のオートバイに乗ることもざら。
積載重量制限が30kg、最高速度60km/hではインドネシアでは物足りないかも。

因みに価格は約60万円。
やはりOjek(オジェック=二輪タクシー)やBajaj(バジャイ=三輪タクシー)にはかなわない。

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ビザ手続き (2016/04/26)

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VTT(Visa Tinggal Terbatas=一時滞在ビザ)の交付のために、大阪にあるインドネシア領事館に行って来た。
領事館は心斎橋にあるものとばかり思いこんでいたが、中之島にある中之島インテスビルの22階にある。
京阪線「中之島駅」から歩いてすぐであるが、前日宿泊した大阪駅前の第一ホテルからのアクセスがいまいち分からなかったので、ホテルのコンシェルジュで訊いてみた。
すると、大阪駅からリーがロイヤルホテル行の無料シャトルバスがあるという。
やはり分からない時は訊ねるものである。

無料バスで10分くらいのところにリーガロイヤルホテルがあり、その隣の大阪国際会議場の裏に中之島インテスビルがあった。



ビルの最上階の22階にインドネシア領事館があった。
入り口のドアにインタホンがあり、「ビザの手続きに来た」と告げると、ドアを開錠してくれた。
恐る恐る中に入ると、既に窓口で一人ビザの書類に関して何やらやり取りをしていた。
訳も分からずきょろきょろとしていたら、「番号札を取ってお待ちください」と言われ、見回すと入り口付近に発券機があった。
番号札を取って呼ばれるまでそれほど時間はかからなかった。

会社の総務担当から送られてきたインドネシアの移民局からテレックスでインドネシア領事館へ送付されたVTTのコピーを示して「手続きをしたい」と言いながらパスポートを添えて提出すると、「はい、それだけではダメです」。
「??」

「他に申請に必要な書類がありますので、その申請書類を準備しますので座ってお待ちください」という。
「このVTTだけでは入国できないのですか?」と尋ねると、「はい、入国できません」という。

筆者の懸念していたことが起こった。
申請に必要な書類とは次のようなものである。

パスポート(原本)
VTTのオリジナル
申請書 (所定のフォーム)
英文経歴書
証明写真 カラー3x4cm (3ヶ月以内に撮影)1枚
英文推薦状(コピー不可) 所属先からのレター、渡航目的の詳細を記入(社判・社印・職名印を押すこと。レターヘッドのある用紙を使用)
招聘状(コピー不可) 現地身元保証人からのレター(インドネシア語/英語)*会社からの場合は宛先が日本の会社になっていること。申請者名、入国目的、滞在日数が記載されていること。発行日付、発行者氏名、役職名が記載してあり会社印(ゴム印)が押してあるもの。レターヘッドのある用紙を使用。
往復航空券コピー(Eチケット可) チケット番号が入っているもの
査証発給許可 ジャカルタ入国管理局よりの許可(コピー可)
滞在可能日数 1ヶ月~24ヶ月(現地入国管理局にて延長可)
査証料金 ¥5,650(6ヶ月以内)¥10,750(12ヶ月以内)¥18,410(24ヶ月以内)
など。

この内容を事前に現地の総務担当に確認したが、「その必要はない、パスポートだけ提出すればスタンプを押してくれて、インドネシアに入国できる」と言い張る。
半信半疑でインドネシア領事館に行った訳であるが、悪い予感が的中した。
現地の会社ではまだ合点がいかないようであるが、今までは日本の親会社が出向者のビザについてはエージェントを介しているが、現地の会社はこのエージェントの手続きを理解していないようである。

おまけに、大阪の領事館は関西圏の在住者を対象にしていて、その他の県に在住する場合は基本的には東京の大使館が窓口になるとのこと。
しかしながら、すでに大阪のインドネシア領事館へVTTが送られて来ているので、この場合はエージェントを介してしか手続きできず、もはや筆者個人が申請することはできなくなった。

今考えている手段はこの親会社が使っていたエージェントを使うしかないと思っている。
筆者はこの親会社を3年前に退職している。

ビザの入手はまだまだ先になりそうである。
その分、日本に滞在できると言えば滞在できる。

痛し痒し?とでも言うのかな。

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京都旅行 (2016/04/27)

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大阪のインドネシア領事館に行くついでに、前日に京都に寄って散策することにした。
小倉駅を朝7時49分発ののぞみ号。



何年ぶりの新幹線だろうか。
小倉から京都まで2時間半。
帰りはインドネシア領事館に寄るので新大阪からになる。
そこで自動販売機を使わずみどりの窓口で訊いてみた。

何を訊いたかというと、小倉~京都新幹線往復の切符を買って、京都~新大阪間は捨てるのと小倉~新大阪往復を買って新大阪~京都間を乗り越しで支払う場合のトータル料金はどちらが安いということである。
意外にも前者の小倉~京都新幹線往復の切符を買って、京都~新大阪間は捨てるのというほうが数百円であるが安い。



乗客が乗ったり降りたりはあるもののほぼ満席。
やはり新幹線は人気がある。
定刻通り京都に到着。



京都駅がかくも変身しているとは全く知らなかった。
4年ほど前に新幹線で京都まで行き、下車はしなくて乗り換えだけだった。
京都を訪れたのは10年くらい前だろうか、その時はこんなになっていなかったような気がする。

京都駅からJR京都線で二駅目の稲荷駅。



小さな駅であるが、伏見稲荷大社がある。
駅を出た所からすぐに参道が始まる。



1300年前から「お稲荷さん」の名称で、特に商売繁盛の神様として親しまれている。
が、思った以上に人が多く、人、人、人である。
8割は外国人で、日本人を探すほうが難しい。
中国、韓国、タイが多いが、ドイツ人やアメリカ、イタリアなども多いようだ。



本殿ではお賽銭を上げ二礼二拝一礼してきた。
伏見稲荷と言えば「千本鳥居」が有名である。(冒頭の写真も)



最初のうちは本当に千本もあるのだろうかと思っていたが、稲荷山の頂上まで続いているようで、千本どころの騒ぎではない。
鳥居は大きさで値段が違い1300年の間、寄付だけで鳥居が建てられている。
一番大きな鳥居は約130万円とか。

参道の両脇にはたくさんの出店がある。



日本人にはあまり珍しい光景ではなくても、外国人にとっては見るものすべてが珍しいようである。



神殿や神棚に飾る神具が販売されているお店がたくさんあった。



サツマイモのお菓子を販売。
この値段ならインドネシア人は絶対買わないと思う。
だが写真の左にあるサツマイモの大きいこと。
さすがは日本である、インドネシアにはこんなに大きなサツマイモはない。

新緑の京都をゆっくり散策するというイメージは見事に打ち砕かれた。

(つづく)

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京都旅行 2 (2016/04/28)

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昨日に続く京都旅行記。
伏見稲荷大社から再び京都駅に戻って、まずは京都駅ビルで腹ごしらえ。
駅ビルの11階まで延々と続く大階段。



まさか階段で11階まで上がって行く訳にはいかないが、並行してエスカレーターがある。
かなり贅沢な空間であるがとても利用しやすい。
エスカータで1階ずつ上がり、隣の伊勢丹にも入りやすい。
その最上階にあるレストラン。



せいろ料理を提供する「葵茶屋(あおいじゃや)」というお店。
野菜の他にも材料が色々あり、牛肉やうなぎなどになればそれなりに料金が高くなる。



筆者が選んだのは京野菜のせいろ蒸しと刺身。
ご飯は白ごはんか炊き込みご飯、汁は味噌汁かそばのいずれかを選べる。



京野菜は九条ネギ、タケノコ、大豆モヤシ、小松菜、トマト、エリンギなどがせいろで蒸され、ポン酢もしくはゴマダレでいただく。
京の春の香りの一品である。



京都駅前から市バスに乗る。



駅ビルに一番近い乗り場のD1、D2ののりばが便利だと駅の案内所で聞いて来た。



230円均一であった。
このバスで五条坂まで行く。
つまり清水寺を目指す。



五条坂から清水寺まで約650メートル。
緩やかな上り坂である。
和服を着た人がやたら多いのに気付く。
伏見稲荷大社にもいたが、ここはその比じゃない。







見ると、日本人ではない。
道の両脇の所々にレンタル着物ショップがあって、外国人を対象に着付けやヘアメイクなどもやってくれるようだ。
着物を着た女性は西洋人もいるが、圧倒的に中国人が多い。
京都はいつの間にこんなことになったのだろう。



清水寺の入り口付近。
またまた外国人ばかり。



入場券売り場。
大人400円。



清水寺の舞台から写真を撮るよりも、やはり舞台へ向かって撮る方が絵になる。
ここにいる人のほとんどがスマホやカメラを持っていて、バチバチ写真に収めている。
凄い数の枚数であろうと思った。


音羽の滝。



東山三十六峰に連なる音羽山から湧き出た地下水が3本の筧(かけい)を伝って滝壺に落ちる。
「延命長寿の水」と崇められている。
ご利益のほどは如何に。



こうして見るとすごい人である。
うち8~9割が外国人であろう。
それにしても中国や韓国の人はなぜあんな大きな声で喋るのだろうか。
いやいや、昔の日本の農協の団体さんたちも同じようなものだったに違いない。



両脇のお土産屋と同じ並びにあった団子屋さん。
店名は「馬齢」と書かれている。
見た目も美味しそうだったので足を止めて、団子のメニューを眺めていたら、売り場から年配の女性が出て来て、「おこしやす」と上品な京都弁で喋ってきた。
それによれば手作りの団子で、みたらし団子など串に刺してあるものは食べ歩き用で、器に入ってあるものは店内で食べるためにあるという。



ということでお店に入ることにした。
注文したのはぜんざい。
平たいお皿に和三盆で描かれた清水寺の絵。
ぜんざいの白玉にこの和三盆を付けながら食べる。

京都らしい趣向である。

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大阪旅行 (2016/04/29)

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京都旅行を終え翌日にインドネシア領事館訪問を控えて、宿泊する大阪へ移動。
京都駅から大阪駅まではJRで560円。

先ずは宿泊先の大阪第一ホテルへ。
ホテルのサイトでは大阪駅の真ん前に丸い形をしたマルビルがあるというが、中央南口の前にそんな丸いビルは見えない。
それでも150~200mほど半信半疑で行ったら丸いビルが見えてきた。



このビルと大阪駅の間に高いビルが建って、大阪駅からマルビルが見えなくなってしまったようである。



近くまで行くと確かに「大阪マルビル」と書かれ、その下のDAI-ICHI HOTELという文字が見える。
何はともあれホテルでチェックイン。

夜の帳が降りる頃、「さて、晩飯はどこにしようか?」と思案するも、大阪名物の串カツを思い出す程度でどこへ行ってよいやら。
こんな時はコンシェルジュに訊くのが一番。
先日のインドネシア領事館への行き方を教えてもらったついでに、近くで美味しい串カツ食べられるレストランを訊いてみた。



コンシェルジュが教えてくれたのは、ホテルから駅とは反対の方向に歩いて2~3分のところにある「串カツ だるま 北新地店」。
聞くところによればテレビやマスコミでも度々取り上げられ、大阪では知らない人はいないほどの有名店とか。



そう聞かされると行かぬわけにはいかない。
早速行ってみた。

お店は間口は狭いが奥行きが長い、いわゆる細長いお店。
2階もあるようだが着席したのは1階の入り口近く。



注文すると無造作に盛られたキャベツが出て来る。
「二度付けしないで」とソースを指さすので、ソースを付けて食べるようである。



串カツの盛り合わせは3~4種類ほどあって、料金に寄って串カツの種類と本数が異なる。
もちろん単品でも注文できる。
単品のメニューは数十種類ある。



盛り合わせには選べる小鉢が付いて来る。
枝豆とかどて焼きのほかキムチやもやしナムル、酢の物などから選べる。



新鮮な素材を揚げたてで、特製ソースでいただく。
ビールが進む、コテコテの大阪の味である。

翌日はインドネシア領事館に行ってきた。
結果は先日報告した通り
現地の会社にフライトやアパートのキャンセルをするために、どうしても預けていた荷物が必要になったので一旦ホテルまで戻った。



その後、大阪駅の反対側にあるグランフロント大阪へ行ってみた。
大規模なショッピングモール、ホテル、マンションが3~4年前にできたようだ。
昼食はこのグランフロント大阪内のうどん屋。



うどんちりで有名な「にし家」。
こだわりの出汁と自家製麺。



鍋料理、しゃぶしゃぶ、各種うどんとそばがメイン。



注文したのは肉つけうどん。
こしのある冷たい細麺。
つける出汁は熱々でお椀が持てないほど。
中に牛肉が思った以上に入っている。
ゆず胡椒の味にした。
生卵とごぼうの素揚げが付て来るので、好みで入れて香りと味の変化を楽しめる。

これまた味の濃いコテコテの大阪の味であった。

大阪駅からJRで隣の新大阪駅へ。



後は一路北九州に戻るだけである。
平日の昼間の新幹線、空席が目立つ。



インドネシア領事館が徒労に終わった虚脱感が襲って来た。
ゴールデンウィークがそこまで来ているので、大使館業務も滞る。
ビザの取得はやや時間がかかりそうな予感である。


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イートン 2 (2016/04/30)

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ビザの申請に関し親会社のエージェントを使わせてもらうよう、本社の人事部門の役員にお願いしたのは大阪から戻った日の夜。
幸いにも快く引き受けてくれ、課長のS氏がエージェントの間に立って必要な資料の準備をしてくれた。
資料は揃ったがGWで親会社もエージェントも領事館もお休みである。
パスポートにビザの印鑑が押され5月11日に手元に戻って来る予定である。

さて、一時帰国すると必ず行くカレー専門店。
小倉北区木町にある。



お店は決して大きくはなく、いつ行ってもお客さんは多い。
この日も昼食時で運よく席があったが、5分もしないうちに7~8名の待ち客となった。



待っている間にメニューを渡され、予めオーダーを決めらるので、待ち時間もあまり気にならないようである。



この漬物がとても美味いのである。
キュウリのしば漬けと大根である。

さて、この日注文したのはエビとアサリのクリームオムレツカレー。



オムレツの上からクリームが掛けられ、アーモンドのスライスがトッピングされている。
カレーはコクがあり美味いのは定評がある。

連れが注文したのはこちら。



春野菜のトマトベースチーズチキンカレー。
トマトとチーズが入っているせいか色がやや黄色っぽく、食べ比べると明らかに味は異なる。
鶏肉も柔らかく煮こまれている。
春野菜のサヤエンドウやアスパラが彩を添える。

やはりCo○○番屋とは一味も二味も違う美味さである。

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俵家 (2016/05/01)

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親会社が使っているエージェントに依頼する就労ビザの申請で、必要な書類はすべて完了した。
生憎GWと重なったため、後10日ほど待たねばならない。
ま、ここは慌ててもしようがない。
じっくり待つことにしよう。

冒頭の写真は夜の小倉の街。
この夜待ち合わせたのはK氏
K氏が進めるお店の俵屋。



小倉北区鍛冶町の飲み屋街の一角にある。
店内は勤め帰りのサラリーマンで埋まっている。



だんご汁と雑炊でも有名なようである。
だんご汁は大分の名物であるが、大分の人は「だご汁」という。
一般的に味噌味である。
ビールを注文せずいきなり焼酎でスタート。



付け出しは長芋のおろしたものに刺身の細切れが入ったもの。
付け出しにしては豪勢である。



この日のおすすめ肴。
やはり青魚が多い。

通常はこれにサバとアジがあるという。

刺身の盛り合わせ。



手前左のタコから時計回りに、サーモン、ヒラス、タイ、イカ、シマアジ、サザエの7種。
新鮮でなかなかの美味、やっぱり九州である。

K氏が薦める料理の一つ、山芋の鉄板焼き。



他のお店と違うところはとろみのある餡がかかっている。
餡がかかっているのは九州ではあまり見かけない
おかか(かつおの削り節)と海苔がトッピングされている。



胡麻鯖。
北九州ではサバは刺身かこのように胡麻と醤油で和えたものを食べる。
これがないと小倉ではない。

K氏の一押し。



ノドグロの一夜干し。
最近巷で人気上昇中のノドグロ。
口の中が黒いのでそう呼ばれているようだが、白身で味のある魚である。
だが思ったよりも小さかったのでやや残念。

気を取り直してめざしを注文。



値段はこれでノドグロの約3分の1。
ジャカルタ住まいが長い筆者にとってはめざしで十分である。

肴が変わるたびに酒(焼酎)が進む。
やはり故郷の料理が一番である。

気が付くと飲み過ぎてしゃっくりが出だした。
このしゃっくり、その後2日間続いた。

やはりあまり調子に乗って飲むものではない。
ほどほどに、である。

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思い出の写真 (2016/05/02)

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巷ではゴールデンウイークの只中。
ひたすらビザの交付を待つだけの筆者であるが、以前から整理したかった昔の写真を引っぱり出してみた。

冒頭の写真は1978年のゴム園。
場所は現在のTangrerang(タンゲラン)のSerpong(スルポン)。
高速道路のスルポンのインターから1kmくらいBSD側に行った辺りだと思う。
現在のスルポンは道路も広くなって土地代も高騰し、ショッピングモールやホテルなどが立ち並び、ジャカルタのベッドタウンとしても栄えているが、当時はこんなゴム園が延々と広がっていた。

初めて見たゴム園は木が整然と植えられ、なぜかすべての木は風が吹く一方向へ曲がっていた。
ゴム園の栽培者が1日1回ヤシのカップに溜まったゴムを回収し、同時に新たに幹に専用の工具で傷を入れる。
ちょうど漆を取るのと同じ要領であるが、漆の何倍もの量が取れた。
ゴムの原液が黒でなく白だったので驚いたのを思い出す。

筆者が初めてジャカルタを訪れたのは当時25歳の1978年1月。
会社にとって初めての海外進出で、筆者にとっても何もかもが初めて。
工場の立ち上げで約1年間滞在した。



工場で最初に生産の苦楽を共にしたローカルの従業員たち。
この写真は同年12月に任務を終え帰国前の挨拶を終え、その際の記念撮影。
当時はズボンはいわゆるパンタロンと言うやつで、腿の部分がぴっちりで裾はラッパ状になっているのが流行っていた。
ビートルズなどのグループサウンズのファッションの影響で髪も長い。
この当時のメンバーが今でも工場で働いている。



女性も数人であるが事務員として雇っていた。
見てのとおり、ジルバブを被っている女性は一人もいない。
当時はイスラム教もあまり厳しくなく、会議や行事の時にもお祈りを捧げるようなことなかった。
また、従業員のほとんどがアルコール(特にビール)を飲み、歓送迎会などは羽目を外すこともザラであった。

任務遂行の謝意を込めて現地の会社からバリ旅行が送られた。



この写真はバリの空港に降り立つときの写真。
当時はバリと言ってもJALパックが普及する前だったので、日本人観光客も少なかった。
ガルーダの機体も赤とオレンジで今の青のデザインではない。
当時のガルーダインドネシア航空の評判はあまりよくなくかった。
評判があまりよくないという意味は、よく事故る、落ちる、サービスが悪いという意味である。
今のガルーダインドネシア航空はこの評判が格段に良くなっている。

引き続き写真を整理してみよう。
面白い写真が見つかればまたご紹介しよう。


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mt Marche (2016/05/03)

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ゴールデンウイークの小倉井筒屋。
新館と休館の間の通路でmt Marcheの販売フェアをやっていた。
下の男の孫は婿と映画を見に行ったので、娘と孫娘の三人で行ったが、元々は娘がこれに興味があるという。




mtとはマスキングテープのことらしい。
包装や装飾に使うテープだから、デザインや色合いなど限りがない。
それでも「あ、これまだ持ってない」とか「あ、これ可愛い!」とか言いながら、どうやら買うつもりらしい。



天気もよく向こうの小倉城も映える。
販売は仮設テントの中。



売り上げは熊本大震災の義援金として送られるという。
イベントの内容は次の通り。
・mt MARCHE 小倉井筒屋テープおよびコンプリートセット販売
・mt ガチャ(あたりでもらえるガチャ限定テープ!) 100円
・mt 缶バッジ 300円
・mt ワークスペース(mtを自由に貼り放題!)
・小倉井筒屋オリジナルマスキングテープ 初日に売り切れたという。
デザインは小倉城、小倉祇園太鼓、門司港のバナナ、合馬のタケノコ、夜宮公園の菖蒲、焼うどんなどがデザインされている。



マスキングテープがあるわ、あるわ。
床も天井もトレードマークのデザインで統一されている。
それとお客さんは十中八九女性である。
娘がガチャを回したら当たりが出て、限定テープを貰って大喜び。



テントの中にあったお買い物かご。
これもマスキングテープで装飾されたもの。



ワークスペースでは試し貼りができる。



孫娘は「缶バッジに装飾をしたい」という。
好きな柄のテープを好きなように貼る。



かしめる機械に嵌めて強く推す。
缶バッジ代の300円を払う。



新館1階にもディスプレーされている。
入口も既に装飾されている。



2,700個のマスキングテープのディスプレー。
圧巻である。







ミニ三輪自動車。(冒頭の写真も)



電気自動車のようである。
後輪が一つで前輪が二つ。
外装はやはりマスキングテープ。

2~3年前に知ったマスキングテープであるが、こんなに女性たちの間で人気があるとは思わなかった。
何より売り上げは熊本大震災の義援金として送られるというのがいい。


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紫川中流域の野鳥 7 (2016/05/04)

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ビザの交付をただひたすらに待っていることやGWということもあって、日にちや曜日が分からなくなる。
5月2日の月曜日、明日から雨という天気予報なのでちょっと紫川中流域の野鳥を覗いてみた。



ドバト(カワラバト)に餌をやっている人。
カラスやスズメも集まっておこぼれ頂戴である。



今はドバトが増え過ぎて餌をやらないようにしようという運動中であるが、こうして餌をあげる人が後を絶たない。
毎日やっていると、そばまで寄って来るし、更に慣れると手渡しで餌を食べるようになる。
そうなると情が移って更に餌をあげようとする。



先ほどの人がいなくなると入れ替わるようにまたやって来た。
川にいるカルガモにも餌を投げている。



カルガモも人にすぐ懐く。
毎日餌をあげていると、その時間になると遠くからでも集まって来る。

シロツメクサ。



子供の頃にこの花を摘んでレイのように輪にして、首からかけて遊んだものである。



今紫川中流域にもたくさん咲いている。



こちらは赤いツメクサ。
セッカツメクサと言うが、通称アカツメクサ。
シロツメクサより僅かに大きい。



近年アカツメクサが徐々に増えているように思える。


採餌を終え飛び立つカワウ。



この日全部で4羽いたうちの3羽。
いつ行っても見られる出現率100%の鳥であるが、少なくとも3年前は1年に5~6回見られる程度だった。
やはり都市鳥化が進んでいるのかもしれない。

都市鳥の代表格のムクドリ。



河原に降りて来て水浴びをしていた。
鳥が水浴びするのは羽根についた害虫などをきれいに落とす意味があるが、水深が深いところでは絶対に水浴びをしない。
概ね底に足を付けても腹が水に浸からない深さのようである。

田んぼで餌を探すカワラヒワ。



「キリコロ」「キリコロ」とカワラヒワ独特の鳴き声を出しながら、田んぼに舞い降りた。
ヒワ類はくちばしがペンチのように太いので、硬い雑草の種子でも砕くことができる。


電線に止まって「デデッポー」「デデッポー」と鳴くキジバト。



ドバトのように群れになることはないが、番(つがい)でいることは多い。
近年、繁殖期といえる時期がなく、年中繁殖するようになっている。
寒い冬でも街路樹などに質素な巣を作り、卵を温める姿を見ることができる。


水辺で餌を探すセグロセキレイ。



セグロセキレイは既に繁殖を終え、この日は親子のセグロセキレイを2組見た。
セグロセキレイとハクセキレイは近隣種であるが、交雑しないのは繁殖期がずれているからだと思われる。

片足で立つコサギ。



なぜ片足で立つのかご存知だろうか?



答えは両足とも上げると倒れるからである。

堰で採餌するアオサギ。



冒頭の写真もアオサギである。
この距離で撮影すると僅かな気配でも逃げられる。



いずれがアヤメかカキツバタ。
アヤメとカキツバタの見分け方を知らないが、中洲の緑の草むらの中に黄色い花びらが映える。



この日は23種、合計羽数は226種だった。
珍しくホオアカで出て、河原で盛んに囀っていた。

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思い出の写真 2 (2016/05/05)

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冒頭の写真は今から38年前の1978年に撮影したインドネシアの国民協議会、つまり国会議事堂である。
グリーンの屋根がまるでテントウムシが羽根を広げたような形をしている。
ここにのこのこ入って行って写真を撮って来た。



当時弱冠25歳の筆者。
現在ではとても許されるものではない。

こちらはWikipediaの記事と写真
比べてみると建物の前の植栽が変わっている。
正面の大きな階段の色も違うようである。

この建物を見ると今でも思い出すのが1998年のジャカルタ暴動である。
この記事に掲載されている写真を見ていただきたい。
スハルト大統領退陣を求めた学生たちに、警察が銃弾を浴びせ4人が射殺されたのがきっかけで大暴動が起き、学生たちが国会議事堂を占拠したときの写真である。
これによって長年続いたスハルト独裁政権が終焉を迎える。

今、のこのこ入って行って筆者のような写真を撮ろうものなら、射殺されるかもしれない。

変わってこちらは独立記念日を祝う飾り。



インドネシアの独立は1945年8月17日とされているので、毎年8月17日は国民の休日になっている。
この飾りは工場の門に掲げたものであるが、昔のインドネシアは門型の飾り(Gapura=ガプラという)を飾ることが多かった。
最近はめっきり見る機会が少なくなった。



これも同じ年に撮影したタンゲランの街の中にあったガプラである。
Dirgahayu(ディルガハユ)とかかれ、これはサンスクリット語でお祝い、祝を意味する。
Hari Ulang Tahun(ハリ ウラン タウン=記念日、誕生日)と書かれ、続けてRI ke 33
はRepublik Indonesia,33周年というところだろう。
1978は独立して33年になる。

次は便器の写真。



いわゆる「しゃがみ便器」と呼ばれているもので、インドネシア語でしゃがむという言葉のJongkok(ジョンコック)で親しまれている。
この写真も1978年のもので、一見、弊社で作られたもののように見える。
パッと見はそう見える。



よく見ると、ブランドのO(オー)の文字が1つ多い。
「オットット」ではないが、TOTOではない。
弊社の商品のコピーである。

日本の親会社から派遣された出向者は、これは大変だ、「訴えよう」とか「裁判で決着つけよう」と鼻息荒く、憤懣やるかたない。
だが当時の合弁先のオーナーは「インドネシアでもTOTOの名が売れてきた証拠」といい、「むしろ喜ぶべきである」と言って洟から相手にしない。

「何とも太っ腹というか、大きな人だ」と思ったことを思い出す。
このオーナーが亡くなって20年くらい経つだろう。
それ以降もコピー品を再び見ることはなかった。

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KITTE博多 (2016/05/06)

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4/21にオープンしたKITTE博多。
「○I○I」の看板があるように博多マルイが核テナントとして入る博多駅前の商業施設である。
KITTE東京を真似た名前である。

小倉からの自宅から九州自動車道で一路博多を目指す。



が、途中、宮田町付近から渋滞。
ノロノロ運転で、時折、全く動かないことも。
インドネシアと違って路肩を走る車や道路いっぱいに広がって身動き取れなくなるようなことはない。



FMラジオの交通情報によれば、3台が絡む事故とのことで、パトカー、消防車、救急車、レッカー車などが処理中であった。
この影響で博多駅まで通常の約2倍の1時間45分ほどかかった。



この日は博多どんたく港まつりの二日目で、初日は雨に祟られパレードが中止になった。
その影響で人出は初日が70万人だったが、二日目は130万人だとか。
博多どんたくの人出の計算方法や根拠には胡散臭いものがあるが、例年200万人の人出と発表される。



博多どんたくの影響か、それともKITTE博多の前評判の影響かは定かではないが、混雑ぶりは半端ない。
大まかには1階から7階までが博多マルイの店舗で、1階がスイーツなど、2階から5階がファッショングッズ、6階が書籍、文房具、7階がフィットネスなどとなっている。
また博多マルイ以外では地下が飲食店、8階にはユニクロやクリニック、9~10階がレストラン、
11階がブライダル会場になっている。

KITTE博多の1Fにあるクロワッサンたい焼きのお店。



このお店に限らず、どこのお店も並んで順番を待つ。
このお店では15分ほど並んだが、人気店では1時間待ちもざららしい。



クロワッサンの生地のたい焼きの外側に味が付けられている。
抹茶、チョコレート、ストロベリ―など。



6個入りのセット。
セット内容で値段が違う。



チョコレート味が売り切れとのことで他のと入れ替えられた。



抹茶味のたい焼き。
たい焼きを洋風にした感じ。
小倉餡と抹茶は近年どこの菓子店でも拡大中である。

昼食などの食事は基本的には地下の飲食店か、9~10階のレストランになろう。
地下はビアホール、もつ鍋、焼き鳥、ラーメンなどいわゆる地元でなじみ深い料理が中心。
9階のレストランは比較的リーズナブルな価格帯で10階のレストランはやや高級店が多い。

11時半に行った9階にあるレストラン。



「KAWARA CAFE & DINING」というお茶と食事の両方ができるお店。
11時半と言うのにレストラン街は大変な混雑。



30分後のちょうど12時にお店に入れたのでいい方だろう。
人気店では1時間や2時間待ちのところもあるようだ。

注文したのは飲み物、スイーツがセットになった品。



週替わりの献立は酢豚。
サラダ、サトイモの煮付け、ひじきと大豆の煮付け、卵焼きなど。
ご飯とみそ汁はお代わり自由と言う。
よく見るとお盆が瓦になっている。
それでお店の名前に合点がいった。

飲み物はアイスウーロンティー。



飲み物は約10種類から選べる。



スーツは豆乳ベースのムースでラズベリーのシロップがかかっている。
どことなくモチモチした食感。

この日は隣接する阪急デパート、AMU PLAZA、博多駅ビル、東急ハンズなどにも足を伸ばしたが、どこへ行っても人、人、人である。
エスカレータは通常は片側を空けるが、混雑緩和で2列で乗るようにエスカレータごとにガードマンが指示していたし、エスカレーターを降りてもすぐ次のエスカレーターに乗れず、一旦先へ進んでやや離れたところでUターンして次のエスカレーターに乗るようになっていた。

このKITTE博多のオープンによって博多の街の人の流れが博多駅に近づいてきたようだ。
天神離れが加速しそうだが、迎え撃つ天神もただ黙って見てはいないだろう。

一方、人口が減り続ける北九州市。
博多の若い人が多いのに比べて年寄りが目立つ。
明らかに元気と活力がない。

「どうしたもんじゃろの~」。。。。。。


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思い出の写真 3 (2016/05/07)

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写真を整理していたら出てきたのは1978年当時のMONAS(独立記念塔)の写真。(冒頭の写真)
現在と比べると周辺の樹木は背が低く、見るからに暑そうな感じ。

Diponegoro(ディポネゴロ)の像。



バックのMasjid Istiqlal(マシジット イスティクラル)やカテドラルがよく見えるが、現在はこんなに良く見えないと思う。

MONAS(独立記念塔)の上から見た景色。



この写真はJ.l M.H. Tamrin(タムリン通り)の方向を見たところ。
現在のような高層ビルがまだ林立していない。
一番右の噴水があるローターリーはBundaran Patung Kuda(ブンダラン パトゥン クダ=馬の像のロータリー)である。
面白いのは手前の公園のような遊園地。



カメラを少し左に振ったところ。
左側の高いビルは現在もあるKementerian Badan Usaha Milik Negara(国営企業省)である。
で、その手前の公園であるが、確かTaman Ria(タマン リア)と呼ばれていたので遊園地であった。



さらにカメラを左に振って見たところ。
一度行ったことがあるが、大人が行くところではないという印象が強かったことは覚えている。
仮装行列、ピエロなどの大道芸人、メリーゴーランドやティーカップなどの乗り物などがあった。

そのTaman Ria(タマン リア)の入り口。



結構派手で豪華であるが、ベニヤ板で作った門だった。
今は跡形もなくオフィスや官庁が立ち並ぶ街並みに変わってしまっている。
のどかにBajaj(バジャイ=三輪タクシー)が二台止まっている。

場所は変わってBundaran Senayan(ブンダラン スナヤン=スナヤンロータリー)近くのJ.L Sisingamangaraja(シシンガマンガラジャ通り)からJ.L Let. J. Sedirman(スディルマン通り)方面を撮影したところ。



Patung Pemuda Membangun(若き精神の像)と呼ばれるが、日本語に訳せば青少年育成の像のほうが適訳かもしれない。
現地では専ら「アッチッチの像」と呼ばれている。
この像の建立資金は国営石油会社(プルタミナ)から供出され、1972年に完成した。

現在はこの二つの通りの下をMRTという地下鉄の工事が進められている。
現状の写真はこちら

当時は道路を走る車も少なく、ブロックMから北の海岸のアンチョールまで20分くらいで行けた。
今では1時間半くらいはかかるだろう。
写真の走っている車は三代目のカローラである。
その左にBajaj(バジャイ=三輪タクシー)が僅かに見えるが、現在この道路はバジャイの通行は禁止されている。
もっとも、当時はまだBeca(ベチャ=三輪自転車タクシー)がジャカルタの大通りを走っていた時代である。

今のジャカルタは車が多過ぎて3 in 1(スリーインワン)という朝夕の渋滞時は3人以上乗った車しか通れない規制があるが、これがジョッキーというアルバイトによって実質的に車が減っていないというのが実情。
このほど1週間テストとして規制を解除したが、現状の実態を詳細に測定していないために、車が減ったのか、増えたのかが分からなかったという結果であったらしい。
そこで試験期間を1か月に伸ばしたというが、はて結果は如何に。

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丸亀うどん 8 (2016/05/08)

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一時帰国したら必ず一度は行くお店。
丸亀製麺小倉店、TOTO本社近く。(冒頭の写真)



インドネシアのお店みたいに暇で手持無沙汰な従業員はいないようである。
見ているとインドネシアの人の2倍以上のスピードで働く。



今、キャンペーン中の「春のあさりうどん」とやらを注文。
写真ではあさりがごっそり載っている。

注文したのはあさりうどんの並盛りと明太おにぎり、レンコンの天ぷら。



写真とまったく同じようにあさりがごっそり載っていた。
それに生姜と刻みネギもたっぷり入れて、なかなか食べ甲斐のあるうどんである。
価格はあさりうどんの並盛り590円、明太おにぎり130円、レンコンの天ぷら100円。

ご飯が違う、油が違う、スープが違う、ジャカルタとは違う。
合計で820円。
ルピアに換算(Rp=120×¥)すると、98,000ルピア。

こんなメニューがジャカルタにもあれば、この値段出しても全く問題ない。


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門司港レトロ (2016/05/09)

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5月7日の土曜日。
天気予報では晴れて温かいと言っていたはずであるが、北西からの冷たい風が吹き、時折霧雨が降る空模様。
門司港レトロの散策。
冒頭の写真は改修工事前の門司港駅。
現在改修工事中で2年後の2018年3月に完工する。
工事の状況は無料の見学デッキから見ることができるが、生憎GW中で工事はお休みであった。

関門橋。



橋梁に一部に工事用シートがかかっているようで、こちらも改修工事中。
1973年に開通したが、開通した日に通行したことを覚えている。
当時は以前勤務していた会社の中津工場増設工事のために、出張応援していたのでよく覚えている。
終業後、数人の仲間と車を相乗りして、わざわざ中津から行ったので、よく覚えている。
あれから44年経つ。

岸壁では糸を垂れる釣り人が結構いる。



あまり釣れていないようであるが、、、、、。



水が真っ黒なので何事かと思ったが、イカが釣れて炭を吐いたようだ。
何というイカだろうか。
コウイカかな?

アオサギも寄って来た。



釣り人たちが吊り上げた小魚をちゃっかり失敬する。
もっとも釣り人たちはフグなどの小魚は持って帰らず、リリースもしないのでアオサギの格好の餌になるようである。

門司港と言えば名物の「焼きカレー」。



門司港で一番人気のある「BEAR FRUITS(ベア フルーツ)」。
いつ行っても順番待ちという。



この窓の前にあるウエイティングリストに名前と人数を記入して待つ。
開店時間はAM11:00~PM23:00.
お店に行ったのが午前11時15分頃であったが既に4組待ち。



瞬く間にウエイティング客が増えた。
お店の前にあるメニュー表などを見ながらひたすら順番を待つ。



この写真の女性は誰だかご存知だろうか。


以前上戸彩が来店したといい、その時の写真らしい。
上戸彩が十代の時と言うからかなり前のことだろう。



この時間帯は開店と同時に入店したお客さんでいっぱいのため、なかなか客が入れ替わらない。
約50分ほど待ってやっと入店できた。

二人掛けのテーブルが10台余り。



席には既に水の入ったグラスとスプーンや箸、おしぼりが準備されている。
店頭に貼り出されたメニューを見てオーダーは決めていた。

焼きカレーは調理に時間がかかるのでここは覚悟して待つことに。



各テーブルの上に置いてあるびっくりスパイスという香辛料。
びっくりスパイスと言うから、さぞ辛いのかと思いきや、、、、、。



激辛スパイスではないと書かれている。
カレーは勿論、ピザやパスタ、フライドポテトなどの他、肉、魚、卵と相性がいいらしい。

Bコースのサラダとスープ付きのメニュー。



サラダはキャベツ、トマト、水菜とコーンにイタリアンドレッシング。
スープはベーコンとオニオン。
いずれもあっさりとして食べやすい。
焼きカレーとの相性からあっさり味にしているのだろう。

メインのビーフ入りスーパー焼きカレー。



ご飯の中に生卵があり、上にビーフの角切れが5個ほど載って、その上からチーズがかかっている。
オーブンから出て来たばかりなので、まだぐつぐつたぎっている。
普通のカレーだとガガガッと5分くらいで食べてしまうが、とにかく熱いのでじっくり味わいながら食べられるのがいい。
お世辞抜きで美味しいので、やはり評判通りという感じである。

食事の後はレトロの町並みを散策。
旧門司三井倶楽部。



1921年というから約95年前に建立。
ヨーロッパ伝統の木造建築工法で窓枠や大階段の親柱などには幾何学模様のアールデコ調の飾りが施されている。
作家林芙美子の資料室がある。

こちらは旧門司税関。



1912年に煉瓦造りで二階建の建物である。
二階にあるギャラリーでは加山雄三、八代亜紀、ジュディオング、片岡鶴太郎などの有名人の作品が展示されていた。
また熊本・大分大地震のチャリティーとして、東山魁夷、棟方志功、平山郁夫などの著名な画家の絵が格安で販売されていた。
売上金は全額被災地に寄付されるという。

他にも骨董品や古物市が開催され、出店が出ていた。



出店の派手さに比べて人出がイマイチ。
閑古鳥が鳴いていた。



跳ね橋がちょうど開いて遊覧船が出て行くところ。
遊覧船は20分間関門海峡を巡って来る。

来た時は肌寒かったが、帰る頃には日差しが戻って来た。
天気予報が外れた日であった。


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思い出の写真 4 (2016/05/10)

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TOTOが初めて海外進出を決め、1977年に合弁会社を設立し、即工場建設に着手。
翌年4月に生産を開始した。
当時は日本国内は空前の住宅ブームで、日本の工場はフル稼働でも欠品状態で、販売部門からは「海外の工場に投資するくらいなら、国内に工場を作って欲しい」と言われ、社内では海外進出には概ね反対であった。



1978年のインドネシア工場稼働開始の状況。
最初に入った新入社員は約50名。
写真はその当時のもので、採用した新入社員もまだ帽子がない状態。
約3年前からプロジェクトチームを結成し、調査や準備を進めてきた。
当時インドネシア語を勉強しようにも、現在のように会話を教えてくれる講座やテキストはなく、見よう見真似の独学であった。



いきなり上司の工場長から新入社員教育を言い渡された。
出向者は総勢8名いたが、副社長と経理担当の2名はジャカルタの事務所にいることが多く、工場にいる6名の技術者すべてもインドネシア語はほとんど喋れなかった。
覚えた単語はIni(これ)、Itu(それ)、Apa(何)程度で、「Iniをiniして、ituになる」とほとんど日本語で、今思えば新入社員教育どころではなかった。

写真の白いものは石膏型で、これに細かく砕かれ泥状になった陶器の原料(泥漿という)を流し込み、所定の厚みを付け余分な泥漿を排出する。
硬くなったら石膏型から取り出し(脱型という)、接着、穴あけ、削りなどをし、きれいに仕上げて乾燥する。
乾燥は1日から3日かけてゆっくり行う。
この作業を成形工程と呼び、衛生陶器作りの重要な工程である。
その後、上ぐすりをかけて窯で焼く。
現在では石膏型の代わりに樹脂型などを用いて生産性を上げているが、インドネシア工場の稼働当時は、労務費が安く、設備投資するよりも人を雇って作業視をせた方がコストは安かった。

インドネシアの労務費は円に換算すると月に約5,000円/人の時代が当時から15~16年続いた。
これは円高とルピア安の影響で、作業者たちの給料はルピアで年に15~20%アップするが、円に換算するとほとんど上がらなかった。

今では生産規模は約60倍、従業員は約3,000名になった。
因みに現在親会社から派遣されている出向者は2名である。


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思い出の写真 5 (2016/05/11)

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ジャワ島で最も有名な観光スポットというとCandi Borobudur(チャンディ ボロブドゥール=ボロブドール寺院)だろう。
8世紀ころに建立されたヒンドゥー教の寺院であるが、10世紀のムラピ山の噴火で灰に埋もれ、1814年に発見されるまで、その存在すら知られてなかった。

冒頭の写真は1978年当時のボロブドール寺院。
左の上の方にクレーンが見える。



1973年から始まった修復工事である。
地盤の沈下が著しく修復工事には世界27か国が参画し、もちろん日本も支援していた。



水による浸食を防ぐため排水路を設けるために方形の壇部分を一旦全部解体し、石の一つひとつにナンバリングを施し、コンピュータで管理しながら工事を行っていた。



このボロブドール寺院もイスラム勢力に襲撃され、その際にすべての仏像の首がはねられた。
イスラム教は唯一神教で、偶像崇拝を徹底的に排除するためだという。
言われてみればイスラム教徒が90%を占めるインドネシアでは、ヤギを屠殺するときも一気に首をはねるし、最近台頭してきているイスラム過激派が人質を殺すときもこの方法のようである。

現在のボロブドール寺院はすべての修復工事が終わり、すべての仏像の首も元に戻っている。
釣鐘型のストゥーパの中にも仏がある。
ストゥーパの穴から手を差し込み、仏像の顔に触れると何かいいことが起きるという言い伝えがあるらしい。
穴から中を覗くとすぐそばに仏像があるように見えるが、手はなかなか届かない。
いまでもこんなことやっているのかどうか、知らない。


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私のドリカム (2016/05/12)

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昨年の夏にリリースされたドリカムのアルバム「私のドリカム」。
今でもアルバムチャートの10位前後にいる。
海外に住んでいると、いま日本で流行っている音楽に疎くなる。
音楽に限らず、CMやドラマ、エンタメ情報などいろいろなものに疎くなる。
で、アマゾンで注文したら翌日に配送されてきた。



ドリカムのヒット曲が3枚のCDに収められている。
全部で50曲収録されている。



歌詞カードには吉田美和と中村正人の似顔絵が書かれている。
よく見るとジャケットもこの二人の似顔絵で埋め尽くされている。



中村正人。
専ら作曲担当である。



こちらが吉田美和。
作詞担当。

先日(5月5日)、NHKのSONGS10周年スペシャルライブの放送があった。



NHKホールでのライブ。
東日本大地震と熊本・大分大地震を意識しての番組。



楽曲は「LOVE LOVE LOVE」、「時間旅行」、「うれしい!たのしい!大好き!」、「SAYONARA」、「笑顔の行方」、「さぁ鐘を鳴らせ」、「その先へ」、「何度でも」、「決戦は金曜日」、「やさしいキスをして」、「大阪LOVER」、「サンキュ.」の13曲。













ドリカムは結成して28年。
息の長いコンビである。

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紫川中流域の野鳥 8 (2016/05/13)

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抜けるような空の快晴の天気だった昨日、紫川中流域へ野鳥観察に出掛けた。
大陸の高気圧に覆われたためか、空気が乾燥して爽やかであった。
明け方は冷え込んだものの手袋が必要なほどでもなく、観察を続けて行くにしたがって気温が上がって来た。
冒頭の写真は蒲生橋から撮影した足立山。
大陸からのPM2.5の影響か、遠くがやや霞んでいる。



この写真は小倉競馬場裏の桑原の堰。
コンプレッサーエアでチューブを膨らまし堰を上げる。
おそらく周辺の田んぼに水を引いていると思われるが、そろそろ田植えの準備というところだろう。
堰が上がったときは両端にある魚道を伝って魚たちは行き来する。
ときどきアオサギがこの魚道で餌取りをするのを見ることがある。



この写真は2010年9月のもので、コンプレッサー式に変わる前の堰である。
昔の堰のほうがシギやチドリ、サギ、カモなど野鳥が多く来ていた。

さてこの日の野鳥たちの写真。



珍しく1羽のカルガモが公園のアスファルトの上に来ていた。
紫川中流域でカルガモがアスファルトの上にいる姿はほとんど見られない。



その姿を横目で見るアオサギ。
寛いでいるのか、片足で止まっている。
きっと朝食を終え一休みというところだろう。



こちらはハクセキレイ。
ハクセキレイは亜種が多く、国内ではニシシベリアハクセキレイ、メンガタハクセキレイ、ネパールハクセキレイ、シベリアハクセキレイ、タイワンハクセキレイ、ハクセキレイ、ホオジロハクセキレイの7種類が見られる。
写真の個体はタイワンハクセキレイのようである。



「デデッポー」「デデッポー」となくキジバト。
羽色は地味であるがよく見るときれいである。



飛び立つカワウ。
採餌場所の移動だろうか、潜って魚を獲ろうとしたが、うまく獲れなかったようだった。
足で水面を掻きながら飛び立つ。



繁殖羽のコサギ。
冠羽があり、腰の辺りにレースのような飾り羽。
足の指(趾足=しそくと言う)は普通は黄色であるが、やや柿色がかっている。

この日の観察結果は次の通り。



21種と少なかった。
冬鳥のカモ類、ツグミ、アオジなどがいなかったので、もう北へ帰ったと思われる。
代わりに夏鳥のササゴイを記録。
この時期は全体的に繁殖期なので鳥影は薄い。

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